私たちの取組み

ご法話

子どもへのメッセージ「ひび割れの壺」
藤野 和成

2020/08/20

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インドのとある村の物語。青年の男は毎日近くの小川に水を汲みに出かけます。長い天秤棒を首の後ろで担ぎ、左右に二つの壺をぶら下げて出かけます。一つの壺はひびの無い完璧な壺で、もう一つの壺はひび割れの壺でした。小川に着くと男は両方の壺いっぱいに水を汲みます。ところがどんなに水を汲んでも、家に着く頃にはひび割れの壺は水が半分になっています。

完璧な壺は自分をいつも誇らしく思っていました。それは水をこぼすことなく目的を達成するからです。一方、ひび割れの壺は自分を恥じていました。それはいつも目的を半分しか達成できないからです。 2年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れの壺は、ある時、小川で男に話しかけました。「私は自分が恥ずかしい、あなたに申し訳ないと思っている」と。すると男は「何故そんなに自分を責めるの?」と聞きました。「私は2年間毎日このひび割れのせいで水を半分しか運ぶことができない。あなたの毎日の水汲みの努力に報いることができないのが辛いのです」と言います。男はひび割れの壺を見てにっこり笑って言いました。「これから家に帰るから、道端に咲いている綺麗な花を見てごらん」

ひび割れの壺は天秤棒にぶら下げられて丘を登りながら気づきました。お日さまに照らされて美しく咲き誇る花々に。とても美しく、少し元気になりましたが、家に着く頃にはまた水を半分こぼしていたので悲しくなり、男に謝りました。すると男は言いました。「道端の花に気づいたかい?君の側にしか花は咲いていないのだよ。僕は君からこぼれる水に気付いて花の種を蒔いた。君は毎日この花に水を撒いてくれた。この2年間君のお陰で毎日食卓に花を飾ることができた。君は君のままで素晴らしいのだよ」こんな物語です。

私たちはそれぞれに違った個性を持っています。また、それぞれにひび割れているのかもしれません。それでもこのままの私を受け止めてくださる方がいらっしゃいます。それが阿弥陀さまです。ひび割れたままでいいんだよ、と。

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