私たちの取組み
ご法話
「あたたかく 見つめられている いのち」
備後教区三次組西覚寺副住職 本願寺派布教使
伊川 大慶
2026/02/25

息子がはじめて、幼稚園の発表会に出たときの話です。とても楽しみにしており「ママ、トト、絶対見に来てね」と言いながら、ダンスや歌の練習を頑張っていました。発表会の前日、私(トト)は息子に「あした、トト、約束通り見に行くからね。けいたろうもトトがどこで見ているか、さがして見つけてね」と言いました。しかし、つれあい(ママ)は「あした、ママも約束通り見に行くからね。でもね、ママのこと、さがさなくてもいいよ。見つけなくてもいいよ。ママがけいたろうのこと、ちゃんとさがして見ているからね。安心して思いっきりやっておいで」と私とは全く反対のことを言っていました。
当日、始まる前にとなりのお父さんが「私、去年失敗したんです。息子に『お父さんカメラもってるから、お父さんをさがして、手をふってね』と言ったんです。すると、息子のクラスの番になって、みんな歌っておどり始めたにもかかわらず、うちの息子だけ最初から最後まで私をさがしてばっかりで、結局見つけることができず、ぜんぜん歌ってくれなかったんです。余計なことを言ってしまいました」と教えてくれました。私も息子に同じことを言っていたため、「あちゃー」と思い、歌ってくれるか不安になりました。
しかし、そんな心配をよそに、息子は楽しそうに、そして懸命に歌っておどりました。それはママの言葉があったからだと思うのです。「ママのこと、さがさなくてもいいよ。ママがちゃんと見ているからね」。その言葉を思いだしながら、安心して精一杯歌っておどったのだと思います。自分からは見えなくても、自分のことをあたたかく見てくれている人がいることが大きな安心、よろこびになるんですね。
親鸞さまは『正信偈』のなかで、
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照我
(私たちからは阿弥陀さまのことを見ることはできないけれど、
阿弥陀さまはいつも私たちをあたたかく照らし、抱いてくださっていますよ)
とお示しくださいました。
浄土真宗は、私が阿弥陀さまのことを見つけ、つかんでいくことで安心していく教えではなく、阿弥陀さまの方が私たちのことをあたたかく見つめ、抱いてくださっていることに安心をいただく教えなのですね。
阿弥陀さまは、みんながいろいろと悩みながら毎日を頑張っていることも、勇気を出して新しいことにチャレンジしていることも、ちゃんとみてくださっています。うれしい気持ちも、悲しい気持ちも、一緒に受け止めてくださっています。
"どうか、一人で生きていると思わないでおくれ。あなたのいのちは阿弥陀さまにあたかかく見つめられているのだよ"と親鸞さまが語りかけてくださっています。


